独立後の国内再編
 第3次吉田内閣は、アメリカの強い再軍備要求に対してしだいに譲歩をかさねた。警察予備隊はサンフランシスコ平和条約発効とともに、1952(昭和27)年に保安隊に改組され、海上警備隊も新設された。さらに1954(昭和29)年、日米相互防衛援助協定(MSA協定)により、アメリカの軍事・経済援助をうけるとともに自衛力強化義務を負い、同年7月、新設の防衛庁の統轄のもと、陸海空の3部よりなる自衛隊を発足させた。

 政府は、1952(昭和27)年5月の「血のメーデー」事件をきっかけに破壊活動防止法を制定し、公安調査庁を設置して、暴力的な政治活動を取り締まることにした。また、1954(昭和29)年には自治体警察を廃止し、警察庁指揮下の都道府県警察からなる国家警察に一本化して、警察の中央集権化をはかった(新警察法)。

 社共両党・総評などの革新勢力は、こうした動きを「逆コース」ととらえ、抗議行動を組織した。また内灘(石川県)・砂川(東京都立川市)などの各地で米軍基地反対闘争も展開された。1954(昭和29)年ビキニ環礁で第五福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆すると、各地で原水爆反対運動がおこり、翌55年(昭和30)年、広島で第1回原水爆禁止世界大会がひらかれた。
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